なっちゃんと静岡県へ 前編 (15)

なっちゃんと静岡県へ 前編

なっちゃんと梅雨前に旅行に行こうと話が決まり、静岡県の掛川市に行きたいとリクエストした。理由は中学・高校時代にレーシングカートの練習に行っていた、旧つま恋に久しぶりに行きたいと思ったからだ。その時にはパニック障害があったので、今思い返しても「楽しい事をやりに行ったから我慢できたのか?」とか「いや東海道線の中で立ち乗りの時に安定剤飲んだな」とか「新幹線は乗れたな」なんて思い出す。理由は恐らく大人でなかったからだと思う。泣こうが叫ぼうが大人が助けてくれるって思ってた、でも誰にも助けを求めたことはない。不思議なものだ

なっちゃんは掛川花鳥園ともし僕が「乗れそうな気がしたら大井川鉄道で一駅乗ってみようか」と言われた。たぶん大丈夫だろうと思っていた。深くは考えていなかったけど時刻表を買った。皮肉な事なのだけれど再び言わせていただくと、僕は鉄道が好きだったので、時刻表を見るのが好きだった。小学五年生の時は、一人で新幹線とローカル線を乗り継いで、九州の親戚のところに行ったりもしていた。なんなんだよパニック障害さんよって気持ち

車の運転も、交代できるようにレンタカーを使う事で決まった、僕はマニュアル車に乗っていたのだが、なっちゃんはAT限定免許なので無免許運転になってしまうのだ。いや、なっちゃんがマニュアルの操作なんて出来るわけがない、考えるだけで怖くなるくらいなっちゃんは鈍臭いのだ。でもお利口さんなのである。

さて当日は、二人でニコニコしながらレンタカー屋さんに向かって「安全運転で出発ー!!」とスタートした。車の感じを確かめながら運転した、途中でお腹が空いたねとコンビニに入って、コーヒーを飲んでみたり軽い昼食を済ませた。なっちゃんが「私ちゃんと目が覚めたから運転交代しようか?」と言ってくれたので、交代してもらうことにした

僕は助手席に乗るのは好きではないが、なっちゃんの運転の助手席は苦ではなかった。この人の横なら大丈夫と思って乗っていた。でも、もしかして「てんかん」の発作が出た時はこうやって車を止めよう、というシュミレーションはしていた。レースをやっていたので咄嗟の判断と、避け方には自信があった。だから不安は無かった、でもそんなことは余計な考え事であって、なっちゃんはしっかりと安全運転をしてくれる。いつもそうだ

掛川市に入る前に再度運転を交代した、少しなっちゃんの集中力が落ちていたのを感じた。そして旧つま恋に到着した、人は全然いなかった。ヤマハのリゾート地だった20年前の姿ではなかった、あれもこれも無くなっていたから、正直寂しい気持ちになったのを鮮明に覚えている。なっちゃんもポカーンとしていた、本当に何もなくて、国際サーキット場だったコースも閉鎖になっていた。

アーチェリーがあったので、アーチェリーをやろうと決めた。場内バスを待ってみたがまだ時間がかかりそうだったので先にホテルにチェックインすることにした。事前に「一番低い階にして下さい」と伝えてあったので一番低い階だったが部屋は広かった。パニック障害や不安障害のある人は、事前に不安を解消しておくと良いと思う。

なっちゃんには「低い階でゴメンね」と言うのだけれど、なっちゃんは「自分で言えたのえらいね」と言ってくれた。

付き合いだした頃は、高層階の景色の良い所に泊まったりしたが、京都旅行でのパニック障害の発作が出てから高い所も不安の一つになっていた。しかし、なんの文句も言わないで、付き合ってくれているなっちゃんには、本当にありがたいとこの時も思った。

次に続く