なっちゃんと完結 その1(46)

なっちゃんと完結 その1

この「完結」というのは、別れを意味するのだけれど簡単に破局と書く事は出来ない。

その日は2019年2月14日だった。この日にあった事は後で書く事にしてみる。

僕が書きたいことを先に書いたっていいじゃないか、エピローグが長くたっていいじゃないか。

書き始めてから、この「完結」の話にたどり着くまで、どのくらいかかるだろう?とか、途中で書くのが嫌になってしまわないだろうか?とか少し不安もあったが、書く楽しみが勝ったらしい。

「なっちゃんの事を思い出して書く」という事、それは幸せな思い出を思い起こす事であった。強がっているわけでない。本当にそう思った。

この「完結」はなっちゃんが決めた事である。だから言い方を変えると、僕はフラれたのである。

それのどこが幸せなんだ!?と思われるかもしれないけれど、僕たち二人は特別な恋人関係だったと思う。こんなに愛して良いのかというぐらい愛した。愛された。

何かを振り返った時に、僕はなっちゃんの中で「一番である事」がいくつかあると思う。それは僕も同じ事である。「ダメージ?」それも同じ位だと思う。

これも先に書いておこう。なっちゃんは結婚が決まっている。もちろん僕とではない。女性というのは「どうしても結婚したい」と思う時があるらしい。僕はそのタイミングで「結婚しよう」と言う事が出来なった。

前に書いたが、元旦の日のメッセージの約束を守るために、仕事を頑張ってちゃんと目標を達成したが、なっちゃんには彼氏がいた。

「愛をとりもどせ」なんて無理だった。

自分でも不思議に思うのだけれど、なっちゃんが結婚出来て良かったと安心している。いや、まだ結婚はしていない。婚約が正しい。

大晦日には、りょうと会って話をしたのだけれど、やっぱり僕の味方だった。別になっちゃんの悪口を言っているわけでない。僕の進み方で良いのだと正当化して背中を押してくれるんだ。

やっぱり本当に良い友達である。この事だけでも幸せだと思えたりする。

なっちゃんと「完結」をしてからは、しばらく寂しかった。本当に寂しかった。突然とは言わないが、急に逃げていってしまったように感じた。

パニック障害はというと、安定して良くなっていった。人混みも大丈夫になったり、なっちゃんが横に居なくても大丈夫になった。

なっちゃんのてんかんはどうだろうか?。二人でお泊りした時はなっちゃんの睡眠に入る時に出る片側顔面けいれんを僕はある程度データとしていたが、それは付き合いが長くなるに連れて良くなっていった。

僕は必ずなっちゃんが寝てから、寝ていた。

その2に続く