乗るのが怖いからの脱却 前編 (号外)

乗るのが怖いからの脱却 前編

あれからどれだけの日が経ったのだろう
4年7ヵ月だ


僕が本当は大好きな新幹線に乗る日がきたんだ


一緒に行く相手は小中高校と一緒だった友達で、特別に仲が良かった訳ではないが普通に友達だった

親同士が同業者だったので親しさがあったかもしれない


あと、昔からずっと名前を呼び捨てで呼んでくれる友達だ

それと、僕が高校に行かなくなりだした不登校開始の2年生の時に同じクラスだった
成人式に一緒に写真を撮ったりしたのと、mixiが人気があった時にやり取りして数回遊んだきりになっていた


ある日、バイト先にお客さんとして来て「またねー」と帰った


それから数ヶ月後にまた来たのを見つけて声を掛けた、いや任務を遂行した先に声をかけてみたのが正しい

自分がバイト中にスマホを取り出して、LINE交換をするとは思って無かった


久しぶりに遊んでみると、話が合って楽しかった
遊んでるうち、そのうちに、「旅行に行こうよ!」と僕の口が言った
京都に行こう!と、もう決まっているように言った

この人なら大丈夫だと勝手に決めた、何の根拠も無いのにパニック障害の発作無しに新幹線に乗れると

怖くて仕方なかった新幹線だが、大好きだった新幹線でもあった新幹線で僕の奇策があった

新幹線に乗るたびにグリーン車は照明が暖かい色をしていて、静かで落ち着きやすいと高校生の時から知っていた
新車両デビュー日にわざわざ、「デビュー」そのためだけに乗っていただけある

今回はGOTOトラベルキャンペーンもあり、安くグリーン車に乗れるのだ

なっちゃんと行った時と同じ旅行会社で車両指定のプランにした。これは自分に勝つための旅行だと決めつけていた

八坂神社でなっちゃんに買ってもらった勝守りを返しに行かなきゃいけないとずっと思っていた(この時の勝守り

僕の行きたい所は、銀閣寺と蹴上を希望した
相手は清水寺と平安神宮を

自分で驚いたが要は再び4年7ヵ月前と似たような事をしようとしていた
どうかしてる訳じゃない、僕には出来ると信じたかった
この勝守りがリュックの背中から離れないんだ!ずっと感じてた、勝たなくてはならないんだって。プレッシャーではないけれど


不甲斐ない、いつ返すんだろうって


そればっかでなく、純粋に楽しみたかったのもある

二人で会って行き先を段々と決めていった
ワクワクしていて、不安は割と感じなかった


パニック発作が出たら「大丈夫、大丈夫」って手を繋いで居てくれたら良くなるから大丈夫って遊んだ時に言っておいた

「私も調べておく」と言ったが、調べるの忘れたーと言っていた。それぐらいで良かった。この相手の人は成績優秀で、頭の回転が速い。


ただ、なっちゃんと言った時に発作が出てそれ以来新幹線に乗れないとは言わなかった
京都に到着したら打ち明けようと思っていた


主治医に京都旅行に一泊二日で、昔からの特別仲が良かった訳でもないけど未婚の友達と行きますと言った
すっと画面のカルテ越しに「2016年に行ってますね」とだけ主治医は言った


「この時にパニック発作が出ましたね」となぜ言わない?と思いながら「今なら大丈夫って思っています、自信があります」と言ってみた


「お相手とも良い仲になるかも知れませんね」と、また見当違いな答えだった、続けて「京都は日本ですから、帰って来るのも困りません」とうっすら笑いながら言った


「楽しんできて下さい」と言われ、やはり大丈夫だ!という意味だと受け止めた


当日の朝はそれほど緊張していなかった。前日の夜も早く寝れて、目覚めも良かったのもある。
とにかくゆとりがあった

安定剤は乗車1時間前に飲んだ


駅で待ち合わせをして、相手がこちらへ向かってきた。これで大丈夫ってやはり決めつけた


新幹線に乗ってから、グリーン車の案内をした。相手は初めてのグリーン車だった


新幹線にしばらく乗ってもいない自分が、見事にグリーン車の使い方案内をしていて不思議な気持ちだった。やっぱり新幹線好きは本当だったようだ

発作が出そうだという感覚は一度も来なかった2人で小さな声で話しているのが楽しかったのが良かったみたいだ。違う、僕にはレジリエンスがあると前に書いた。それでだ。絶対にそうだ!

そして、京都に到着した

出来なかった事ができるようになった。なっちゃんに連絡がしたかった、新幹線に乗って京都に着きました。と、しかし結婚したなっちゃんにそれを連絡するのは違った。

次に続く