なっちゃんと完結 その2 HSPとパニック障害 (47)

なっちゃんと完結 その2 HSPとパニック障害

久しぶりに書いている。そう、これはノートに鉛筆で書いてからパソコンで打込んでいく作業なんだ。僕はこういう二度手間は、すき好まないのだけれど、字を書くときに考える時間が作れるから、それが楽しみだったりする。簡単な日記も書くようになった。アナログの良さを感じて、消しゴムで消して、書き直しての時間がとても良い。落ち着く時間。

さて、なっちゃんと僕はHSPだったと思う。僕はHSPとパニック障害について少し調べたりしている。なかなかいいヒントが見つかっている。

僕はちょっとしたことで、とても驚くので、なっちゃんに「なんでそんな大袈裟なの?ねえ?」とよく言われていたが、HSPと言ってしまえばそれまでだ。

そんな事を言うなっちゃんは、もっとHSPだと思う。「その1」でなっちゃんが急に逃げていってしまったように感じた、と書いたけれど、そう表現したのはなっちゃんの感受性の深さを知っていて、そんな事があるものかと思ったからだ。

なっちゃんの愛はどこまでも深く、正直で真面目で不器用で原石みたいだった。

なっちゃんは僕に抱き着いて、こんな事を言うときがあった。「私より長く生きないとダメだからね」「女の平均寿命の方が長いんだから!でも絶対に私より長く生きてね!絶対だよ!」と泣きながら言っていた。それは、他にも「おじいちゃんになっても元気でいてね」としばしば言っていた。

なっちゃんは、寂しがり屋さんなんだけれど、それよりも「おじいちゃんおばあちゃん」になった時の事を想像していたわけだ。それで平均寿命が長い女性の私を一人にさせたら寂しいからダメだよと言っていたのである。

よく愛してくれていたと思うわけです。それと、そこまで先の事を想うなっちゃんの知性?感受性?がすごいなって思ったりしました。

だから、やっぱり完結を決めたなっちゃんの気持ちというのは相当な事だったと思うんです。

なっちゃんは自分で本を買ってHSPについて調べたりしていた。僕もその時に、もう少し学習すればよかったなと思ったりする。パニック障害とHSPが重なる部分が少なくなく多くあると思うのだ。

なっちゃんのお母さんから共依存ではないかと言われていたけれど、僕はHSPの二人が助け合ったからそう思われたと思っている。依存という性質と少し違ったと思うのである。こう書くまでに時間がかかったのは言葉が見つからなかったからである。

反省点もあって、あんなに介入しなければ良かったかもなとか、今になって思う事が多い。でもそれはHSPについて学んだからそう思う事が多いのだ。なっちゃんへの共感とかも。

なっちゃんの愛は地球一周分はあったと思う。でも完結させなければならなかった。完結すべきだったとは書かない。二人で完結させた。

でも、今は二人とも胸を張って、前を向いて歩いているのだから、いいじゃないか (チャットモンチーのシャングリラを聴いてください)

次に続く