なっちゃんが僕の親友に会う 後編
りょうは、少し言い過ぎたとは思っていなかった。僕に「もっとしっかりしないと」と言いながら、次第になっちゃんへの「ケア」へと移っていった。
そこで、りょうは奥さんを参加させた。「二人で支え合う事について」だった。いくつかの実話を交えて話してくれて、とても説得力があった。
なっちゃんは、二人に諭されるように何度も何度も「支えられるところまで支えてあげて」と言われていた。僕の耳にはタコができていた。たぶん、なっちゃんの耳にもオクトパスだっただろう。
でも、少しこわばって笑いながら「私はどうしたらいいの?これ以上なにをするの?」とか「もう無理」とか「私の今の気持ち分かる?理解できる?」と言いたそうだった。僕は隣に座っていてそう感じた。そう聴こえてきたような感じがした。
りょうは、本当に何度も僕が言いそうな事を、例えに出して「それでも支えれたら支えてあげて」と繰り返した。
自分で言うのもなんだが、よく分かっている親友だと思った。りょうは僕の味方であるのだけれど、なっちゃんの味方でもある難しいポジションを守っていた。それでも5対5ではなかった。限りなくフェアではあった。
りょうは、僕が高校生時代に不登校になった時も味方だった。
例えば、朝から出校していない時なんかにはメールで「弁当前には来いよ」とか「先生が弁当食べたら早退しても良いって言ってる」とか連絡をくれた。
月火水木と休んだなら、「おい!5連休も何してんだ?日曜から5連休だぞ」とかも送ってくれて、「金曜は学校に行こうかな」って気持ちにさせてくれて、金曜日は出校した記憶がある。
それと、単位が危ないという話をした時には、担任の先生と話をして「休んでも大丈夫な計画」を立ててくれた。つまり、逆算をしてくれたのだ。だから、3限に出ないといけないのに2限の前に出校していないと、電話を鳴らしてくれた。それから「3限は出ろ」とメールが届いた。
りょうと担任の先生には本当に感謝している。
それでも休みがちになると「おい!ちゃんとしろ」と送ってくれていた。つまり、単位がマズイぞという意味だった。「どうして来ないんだ?」なんて事は一度も言わなかった。
遅刻しようが、早退しようが、いつもりょうは「普通」にしてくれていた。この空気感が嬉しかった。今でもそれは変わらない。
僕の成績が悪かろうが、不登校だろうが、何一つとして、変わらない友達だった。
勉強も「教えて」と言えば教えてくれた。先生より分かりやすかった。それは、りょうが僕の「分からない」を理解して教えてくれるからだった。
いま、少し目頭が熱くなった
さて、帰り際にもりょうはなっちゃんに「よろしくね」と笑顔で言った。なんだか不思議な気持ちだった。それは、なっちゃんとりょうが「しっかりとした話」をすんなりとしていたので、嫉妬をしたのかも知れない。
帰り道の車内の会話は無いようなものだった。
なっちゃんが、「今回は本当に考える」とか「本当に距離を置く」とか「もう無理」とか言っていた。
もう引き留める事は難しいけれど、「なっちゃんだから」と願うしか出来なかった。年始から流れが悪いのであった。
ここから余談です
今回は書くまでに少し時間がかかってしまった。なかなかまとまらなかったんです。それは、新年でバタバタしていたという事もあったけれど、それだけではなかった。
2か月前に、精神科の主治医に診察室から出る直前に、「身体を悪くしないように気を付けて下さい」と言われた。それは、もの凄く悲しそうに言っていた。
僕は、自分の体調は悪くないのにどういう事だろう?と思っていた、結局は考えすぎと片付けていた。
今週、2か月ぶりに主治医の診察を受けてきた。先生は目が疲れていた。気迫もあまりなかった。それで、診察室を出る前に「あ、身体に気を付けて。自営業は身体を大事にしないといけないから」と言われて、僕は「2か月前にも、むごい物も見るような目でそれ言われましたけど、そんなに悪く見えます?」と返した。
先生は「いや、精神的な事でなく・・・あなたに自分を投影していたのかな、実は私にそういった事があったのです。」と言われた。すっと納得が出来た。
僕は、「先生だからって無敵じゃないんですね。今日は特に目が疲れています」と言うと、少し無理に笑って「無敵ではないない、目が疲れて見えますか」とつぶやいた後に「1年に1回は健康診断を受けて下さい」と言った。
先生は50代で僕は30代である。主治医は「軽い病気にかかっただけ」ではないかも知れないと思った。
でもそれは、主治医がいなくても、大丈夫であれば良いのであると気が付いた。いや、それは以前から分かっていたし理解していたけれど、頼っていたのだと思う。別に、悪い事だとは思っていない。
今年は「自分に優しく、自分に強く」という目標が出来た。
考え方の話だけれど、不安障害の人はこういった事で考え込んでしまうかも知れない。しかし、物事というのは、大体がどうにかなる。そんなに心配しなくてもいい事が多いのである。