なっちゃんが僕の親友に会う 中編 (43)

なっちゃんが僕の親友に会う 中編

りょうは「会社どうなの?」と聞いてきた。それに淡々と答えていくと「え?それ会社もたないだろ!?」と言ってきた。気の知れていない人に言われたら、ゾッとしてパニック障害の発作になっていたかも知れないが、この時に限っては、心穏やかで何の問題もなかった。

僕は会社経営者であって、それをどうしのいでいくかは知っていた。でも、りょうが普通に考えたらマズイ事になっていたのである。

なっちゃんは目が点になっていた。さらに切り込んでりょうが聞いてくる。それにも淡々と答えていった。

りょうの奥さんは完全にアウェイになっていた。なっちゃんは、りょうの説明を僕と二人で聞いていた。

僕には、この時になっちゃんの心が折れた音が聴こえた。2017年にりょうに会った時に、後から「あんなに、お前にしっかり寄り添ってくれる人いないぞ」と言われた。精神科医に続いて二人目だった。僕の心を15年以上前から理解している人が二人とも言うのだから間違いのない事なのだろう。

それだけそばに居てくれる、なっちゃんの心というか思考が壊れたのは、たった1時間でりょうが僕の中身を全て引き出して、次の1時間で解決策を出して入れていた事で、「私には出来ない」と思わせてしまったのである。誰が悪い訳でもないのだけれど。

なっちゃんは、「私が一番なの」というキャラではないけれど、僕の事に関しては「私が一番知っている」と思っていたかも知れない。実際にそれはそうだけれど、数パーセント違っていたとしたら、会社の事に関しての細部は理解していなかった。りょうに話しただけで人と話すことは無かった。

この時に言おうかと思ったけれど、言えなかったことがある。

僕にとって、株式会社にした理由みたいなものの一つとして、なっちゃんの両親に結婚の挨拶をする時の盾のつもりだった。

なっちゃんの父親は地方銀行の支店長だ。反対されたら、どうすれば良いだろうか?と考えてみたが答えは出てこなかった。なっちゃんから頑固だという事を聞いていた。だから、少しでも仕事の健全性が欲しかった。それで個人事業主でなく株式会社にすることにした。

これは誰にも言っていない。なっちゃんにも言ってない。

だから、なっちゃんにはビジョンが無いとか、理念が無いとか、将来の夢みたいなものがとしばしば言われた。けれど、銀行の融資を受ける事業計画を作って、帯状疱疹になった時点で僕は、燃え尽き症候群になっていたと思う。この感覚は人生で2回目だった。高校入試の時と同じだった。

この事は精神科医には話したが、なっちゃんには言えなかった。

やってはみるのだけれど、うまくいかなかった。その繰り返しだった。高校に入ってからの勉強も同じだった。でも今回は諦めようとは思わなかった。

なっちゃんは話が終わっていないのに、全てが終わったかのような目をしていた。

ここからが、りょうの良いところなのである

次へ続く