なっちゃんと大晦日と初詣 (41)

なっちゃんと大晦日と初詣

大晦日と初詣の流れはいつもの事になっていた。

2018年の大晦日と2019年の初詣は二人で過ごす。

でも、前回のセントレアで飛行機の見える部屋の時の一件から燻っていた煙はまだ換気されていなかった。

クリスマス過ぎにプリンだったかをケーキ屋さんで買って持って行ったが、「いらないから持って帰って」と言われ帰らされたりした。

だから、僕は一人でプリンだったかを3つ食べた。悲しくて、こんな経験はしたことが無かった。プリンだったかを3つも食べるなんて正気じゃない。

何にしてもなっちゃんの機嫌は良くなかった。そんな物は買わなくて良いぐらいの事も言われた。よく覚えている

大晦日の夜になっちゃんの家に迎えに行った。でもやっぱり二人の間に溝というか、一枚の壁があった。いや、エベレストみたいな山かも知れない。

今年は、僕の家から近い神社に歩いて向かった。そのうちに「これからどうするの?」的な事でなっちゃんが問い詰めてきた。

僕は何とかするよと「Nickelback」の「Someday」を思い出しながら答えていた。でも、なっちゃんは焦っていた。これから先に自分がどうなっていくのかを知りたくて想像していきたかったのだと思う。

僕は別の話題を探しながら「Eurythmics」の「Sweet Dreems]を頭の中で再生した。音量のつまみは右に回るだけ回した。Everybody’s looking for something. なわけで。

なっちゃんの不機嫌に負けようと思わなかった。

そう、大晦日とお正月という日はパニック障害の怖くない特異日なのだから。この日は夜も怖くないし、人混みも怖くない、一人ぼっちも二人ぼっちも怖くない特別な神がかり的な日なんだ。そんな日に、負け犬みたいになりたくなかった。

二人でお参りをした後におみくじを引いた。僕は大吉を引いたのだけれど、内容がとても不安な大吉だった。初めは木が枯れているが、後に美しい花が咲くでしょう的な「え?」というような大吉だった。

なっちゃんは小吉だった。その小吉には恋愛に「この人を逃すな」と書いてあったので、僕は一人でホッとしていた。どれだけ運任せなのでしょう?まあこれが僕です。

僕が気を良くしていたので、少しだけなっちゃんも気を緩めてくれていた。けれど、それも甘酒を飲んでいる数分の事だった。

帰る事になり、またまたなっちゃんの「これからどうするの?」が始まった。さらに広島の友達の話のゆうちゃんの話も出してきた。これは普通の日だと、パニック障害の発作が心配になるところだが、やはり正月という特異日のかたまりによりパニック障害の発作に関係なかった。(特異日については前に書いた話なのでご参考になれば参考にして下さい)

それで、なっちゃんは怒りだした。でも、ほかっておいた。甘酒じゃなくて、御神酒を飲めばよかったと思った。いやダメだ、頭が痛くなる。

それで家に送って行った。

この日の午前3時前にこんなメッセージを送っていた「自分の仕事が6月でダメなら会社員をやります。ゆうちゃんを例えに出すなら、KHもしっかり出して比べないと偏りがあるよ」と負けた事を言っていた。ゆうちゃんの事ばかり言うのなら、KHも比べてみようという、数学の確立統計の戦術に出たわけだが、無視された。

朝まで眠れなかった。でもお正月だからそれでもよかった。みんな寝てないよなって思う感じが好きで。これがお正月なんだ。

なっちゃんという人は根がクソ真面目な人間である。僕も真面目だったけれど、その真面目さから「パニック障害」になったと気が付いて馬鹿になった。

それは「不真面目さ」というもので、自分を保った。高校時代に校則違反のアルバイトをやってみたり、授業中に居眠りをしたり、登校拒否になったり、単位を落として先生に補習をしてもらったり。

もし、このブログを学生が読んでいたのなら「勉強は出来るだけやった方がいい」とアドバイスをする。でも、成績が悪くて嫌なら、学校に行くだけでもいいと思う。嫌なら行かなくて良いと思う。でも単位は落とさない方が良い。後から大変になるから計算して不登校すると良い。

もし、パニック障害の子の親が読んでいたとしてなら「少し気楽にやらせてあげてください」ぐらいしか言えないけれど。学校を休むのなんか問題の「も」の字でもない事は言っておく。とにかくパニック障害は苦しい。それだけは断言しておく。

なっちゃんは、「てんかんの薬のせいで馬鹿になった、心から薬を恨んでる」と言った事があった。それもよく分かる。薬で成績が下がるとか記憶が悪くなることは、僕たちのプライドが許さなかった。

でも、僕はそれを「不真面目さ」というエスケープを使ってやってきた。真面目さというものが「パニック障害」の仲間だとすると不真面目さがその敵で和平になるのかなと。

こんな風に「不真面目」を作った自分は器用だと思う事がある。このブログを書いていてもたまに、「ここ上手い」とか思ってる自分がいる。それは自分に優しくなったと思う事にしている。

何だよ、タイトルと全然違うのかよ!と思った人は居ると思いますが、僕のブログは、「こんな自由な不真面目さいっぱいのブログになる時があります」と伝えておきます。

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