なっちゃんの病院で名古屋へ 中編 (30)

なっちゃんの病院で名古屋へ 中編 (30)

朝になった。なっちゃんはいつも通りすっとは起きないが、いつもより少しは早く起きた。そりゃそうだ、自分の大事な受診なのだから少しは早く起きても不思議ではない。それでも出発は余裕すぎる訳ではなかった。

名古屋の運転はなかなか難しい、得意とか不得意とかでなく、走り慣れないと走りにくい道なのだ。それと朝の渋滞が重なって、なっちゃんはだんだん焦りだした。栄駅の付近なのだが近づくに連れてなっちゃんはイライラして焦って「地下鉄で行った方が良かった」などと言っていた。

僕は落ち着いていた、焦りは事故のもとだ。なるべく近くまで乗せていこうと思っていた。それでもなっちゃんの焦りがMAXだったので、あと数百メートルのところで「次の信号が赤になったら、後方確認してから自分で走って」と言うと「分かった、ごめんね」と言って勢いよく走りだした。

場所が分からなくならないようにと、なっちゃんが走り出したすぐ近くの駐車場に車を停めて、外観が分かるように写真を撮ってなっちゃんに送っておいた。

でも、なっちゃんは眠って脳波の検査を受けると言っていたし、スマホの電源をOFFにすると言っていたので、「打ち合わせしてないけれど、大丈夫かな?」と思い、病院に行ってみる事にした。

受付でなっちゃんの名前を言って呼び出してもらうと、もう検査の準備に入っているという事だったので伝言をお願いして「この辺りに居るから、検査が終わったら連絡して」と伝えると、大体の時間とその後の流れを親切に説明してくれた。けっこう時間があるぞと思って、何故だかパニック障害の不安感を全く感じなかった。恐れなかったとも言うのかな。

ここからがいつもの自分とは違っていた。待合室で待つとか車で待つとかでなく、僕は一人で名古屋の栄を楽しもうと考えた。先輩と二人で名古屋駅や栄駅近辺には買い物には行ったりしていたが、一人で栄を歩いたことは無かったので余計にエンジョイしようと思ったのだ。

名古屋の栄は字の如く「さかえている」のだから、それなりに混んだりするのは知っていた。それでも土曜日のIKEAの時と比べたら酷くないと勝手に信じ込むことにした。「それで良い」と決めて一人で名古屋の栄を歩き回ると強くスタートした。

歩いて見ていてもまだお店が全然開いていなっかったりしたので、一人で歩いているのが滑稽なのではないか?と少しズレた角度から見たりしたら恥ずかしくなって小走りとかしてみた。それでもやっぱり楽しかった。

よく人を見たら大概の人が一人でテクテク歩いているので「なんだ、考えすぎだ、みんなは仕事か」なんて思っていたら、向かいからカップルが歩いてきたので「そればっかりでもないよな、栄だもの」と一人で完結しながらとにかく歩いてみた。

天気が良かったのでとても気持ちが良かった。途中で百貨店の開店前に人が並んでいたのだが、何だか腑に落ちなかった。本当の事を言うと、なぜ並んでまで百貨店に行きたいのだろうとか、10分前行動とかしなくて良いよとか、なんだか行儀が悪い気がした。つまり開店時間分かっているんだから逆の意味で時間守れと思ってしまった。

とにかく、ぐるぐると歩いていると冬だというのに汗を感じたので、コンビニで水を買うことにした。店を出てゴクゴクと水を飲んでいると、人の気配が増えていることに気が付いた。

でもそれは「パニック障害の不安材料」ではなかった。むしろ、これならなっちゃんと名古屋の栄は楽しんで歩けるな!という気持ちが嬉しかったというか「自信ついたな俺」と思った。

やっぱりパニック障害というのは不安障害の一つというのが納得できた。その不安を感じないように取り組めば大丈夫なのかなと思ったりして一人で歩いたり小走りしたりした。

行きたい所にたくさん目星を付けすぎてしまい、どこに本当に行きたいのか、分からなくなってしまいそうなぐらい一人で名古屋の栄を満喫したのである。なっちゃんと一緒に入ろうと思ったので、一つもお店には入らなかった。

一人で入ればよかったのだけれど、この感動をなっちゃんの前で表現したいと思ったのだ。「ここ元カノと行ったことある」とか言わないようにと心に誓った。

名古屋は人混みで嫌だと思っていたのだが、それが消えて「平日なら名古屋も良いな、行きたいな」と心に変化があったのだから、これは自分自身に大きな進展があった。

次へ続く