なっちゃんとの京都 中編 (3)

なっちゃんとの京都 中編

京都2日目の始まりだ。一泊二日の旅程であったので2日目の今日は帰る日である。

まず銀閣寺に行った。緑が奇麗で癒された。こんなに癒されるとは思わなかった。外人(たぶんアメリカ人)が二人でいるところを撮ろうか?と声をかけてくれたので撮ってもらった。いま見ても顔が疲れている。いや、たぶん帰路が怖かったんだと思う。

帰りの新幹線には乗れると言ったものの、怖かった。彼女は翌日は仕事だから、乗れなければ自分だけ京都に残るのかなとか考えたり思ったりしていた。銀閣寺にはそれなりに人がいたが、それは苦ではなかった。

だが、二人とも足の疲れがきていた。休むペースが多くなっていた。食べ歩く感じでなくお店で足を休めた。

蹴上駅から地下鉄に乗ることになった。心配されたが大丈夫だった。(1日目も乗れたのかもしれない)

次に八坂神社に向かった。二人でお参りをした後に、なっちゃんが「お守り買ってくる」と言ってお守りを買って戻ってきた。「頑張って勝って!」と勝守を渡してくれた。自分に病気に勝てという意味だったと思う。いまでも大切に鞄に入れてある。嬉しかった。

実はなっちゃんは付き合いだして少ししてから仕事が合わず、うつ状態になり退社して休養をしながらアルバイトをしていた。少しでなくたくさん僕の気持ちを分かってくれていた。

八坂神社の近くのカフェでパフェを食べた。美味しかった。しかしながら、だいぶ疲れていた、二人とも。その近くでお土産を買ったりもした。美味しい梅干を買った。

日が落ちてきた。僕は昔から日没が嫌いだ。なんだかパニック障害のくるタイミングとリンクしてしまうことがある。孤独になったような気がしてしまうのだ。「早めに駅のホームに行こう」と言ったような気がする。心配性な自分は早めの行動をしていた。こういった癖というかそういうところがパニック障害になりやすいんだと思う。

彼女は新幹線のホームで「大丈夫じゃないでしょ?」と言ってきた。「無理しないで良いから」とも。僕はパニック発作が出た場合の対処方法を伝えた。指定の新幹線が到着した。ベンチに腰を掛けたまま首を横に振って「ごめん、乗れない」と伝えた。なっちゃんはスマホでパニック障害について調べてくれていたのか、「もう改札出よう」とリードしてくれた。

改札を出て「少し外の空気を吸いたい」と伝えた。僕は新幹線が好きで、500系も700系もデビュー日に乗車したほどだったのでホームの感じなどは好きだった。でもそれはパニック障害になってからは違った。この日は怖いものにしか感じなかった。新幹線が通過する音も不快だった。まさかそんな日が来るとは思っていなかった。道を塞がれた気持ちになった。皮肉なものである。

なっちゃんが「夜行バスもあるし、心配しなくて大丈夫だから!笑」と落ち込む自分に優しくしてくれた。でも「乗れないと思う」と言ったら「それならもう一泊しようよ、京都二泊三日でラッキー!って思えば良くない?」と機転をくれた。今日帰らなければならないという思考回路がパニック障害には良くない。「どこでも泊まれるところなんてあるから心配しないで」と言われた。すぐにホテルを探した。何年も前に元カノと泊まったことのあるホテルが見つかった。すぐに予約した。全てが怖く感じているその時点で安心するには過去の成功経験が役に立つ。

「予約できたからバス乗ろう」と言った気がする。京都タワーを背景になっちゃんが写真を撮ってくれた。なっちゃんが1日目と違う人に感じた。悪い意味でない、良い意味でだ。「バス大丈夫だったね!無理しなくていいからね!」と言ってくれた。

ホテルに着いて一安心した。ただ朝の時点でホテルから荷物を宅急便で送ってしまったので下着などが無かった。なっちゃんも持病持ちなので僕は常に彼女と3日は過ごせるだけの薬を携帯していたからたまには役に立つ心配性である。なっちゃんが「下着はコンビニにあるから大丈夫だよ?」と言った。僕にはすんなり理解できなかったが、なっちゃんはドジなので旅に忘れ物など当たり前だったのだ。

二人でセブンイレブンに買い出しだ。なっちゃんは真剣に選んでいる。僕も自分の必要なものを選んだ。あと夕飯を食べていなかったので二人で選んで買った。夜の街を出歩いてる感じが新鮮だった、少し楽しかった。部屋に戻って明日はレンタカーで下道で帰ると決めた。

そのあとに鍵の音がダメな事に気が付いた。新幹線での鍵というフラッシュバックだった。なっちゃんに「トイレもお風呂も施錠しないで」と素直に頼んだ。

少し早めに就寝した