高校生になってから(最高の面接)

高校一年生になってから少し経ってから悪い事はしてないのに呼び出しをくらって、なんなんだろうと思って職員室へ行くと面接官だった先生が「俺のこと分かるよな?お前の面接は一番良かったからさ名前覚えてるんだよ、生徒会の委員長やれ」って意味の分からない誘いだった。 優等生がやるべきものだと思うので受け入れられないと何度も言った

断りに断ったが結局は委員長は回避したが書記をやらされた。 でも嬉しかった、一番良かったって名前覚えててもらったってのはちょっとにんまりした。 安定剤を飲んであの調子なら普通の状態はもっと良いのかな?とか考えたが安定剤が効いてたから落ち着いていたんだとも思った(笑)

この時に強く思ったのは緊張も度を越したら良くないけれど、適切な度数の緊張はするべきだと。 安定剤を飲んで掴んだ感覚でもある。 性格があるからどうこう出来る場合と出来ない場合があるが、自分は緊張するときに80%程度の重要さだと思うことにしようとした。 100%重要なんて事は無いことにして自分を楽にさせるようにした。

しかし、ここで張り詰めた糸が切れる。 これで良いのだ、このために頑張ったんだからと、もうどうでも良かった。

[さてここからは馬鹿タイムになりますのでね]

高校二年になるとバイトに明け暮れる。

バイト禁止の学校だったけど先生たちはバイトなんかするわけが無いと思っているので見つかるなんてことは無かったが、実際にバイトをしている人も2クラスに1人ぐらいだった。

しかし、2年生の最後に大問題が発生した。

不登校もあったり学校をサボりすぎて進級できないと。。。 平均内申点1.5と酷い内申も重なった。 絶望的な状態だったのだが、担任と学年主任が助けてくれた。

僕を進級させるか、留年させるかで全職員で2時間の審議 1時間経過の時点でもうダメだと思ってた。 でも2時間過ぎたぐらいの時点で担任が「春休み無くなっても良いな?」と飛び出してきたので「あぁ・・・」と答えて、担任と学年主任がニコニコしながら来てくれた。

「補講137時間だけど消化しろ!先生たちがお前のためだけに授業するから春休み無し」と。。。 「校長先生と教頭先生から話があるから行ってこい」とさらに重圧が(笑)

校長先生と教頭先生から、「公立高校で君のように救われる例は今までに無い。ただ、もう少し頑張れるかどうかという所だから頑張りなさい」って言われて「頑張ります」と 137時間は過酷でした。

先生たちも僕のためだけにスケジュール組んで学校に来てくれて授業してくれましたから先生たちに感謝でした。 そして、どの先生も僕のことを覚えてしまったようです。

楽しくは無かったけど苦痛でもなかったです。 しかし、留年にならなかったというのは大きかったです。

何故こんな事になったかというと、バイトをし過ぎた事も一つある。それと学校に行きたくなかったのもあった。優等生であり続けたかったという思いと別の方向にいた自分に苦しんでいた。勉強なんて分からないことはなかった中学生から勉強が全く分からない高校生へと成長?したのだ